今日のプレイリスト#25「Walter Maynard Ferguson(ウォルター・"メイナード"・ファーガソン)」

今日のプレイリスト#25「Walter Maynard Ferguson(ウォルター・"メイナード"・ファーガソン)」

今日のプレイリスト。25回目の今回は「Walter Maynard Ferguson(ウォルター・"メイナード"・ファーガソン)」です。


下北沢で行きつけにしているレコード屋さん「フラッシュ・ディスク・ランチ」で購入しました。


このお店は、私が世田谷に住み始めて間もないころからずっと通っているレコード屋で、お店がある限り有効なポイントカードは、50スタンプ貯まると15,000円以下のレコードを何枚買っても半額というやばいシステムが人気のお店です。



華麗な音楽の軌跡:ウォルター・"メイナード"・ファーガソンの生涯

ウォルター・“メイナード”・ファーガソン(Walter Maynard Ferguson、1928年5月4日 - 2006年8月23日)は、カナダが誇るジャズ・トランペット奏者であり、その圧倒的な高音域の演奏技術で世界中の音楽ファンを魅了しました。

幼少期からの才能開花

1928年5月4日、カナダ・ケベック州ヴェルダン(現モントリオールの一部)に生まれたファーガソンは、4歳の時に両親の薦めでピアノとヴァイオリンを習い始めました。9歳の時、地元の教会で聴いたコルネットの音色に心を奪われ、両親に頼んでトランペットを手に入れました。その後、奨学金を利用してトランペットの練習に励みました。13歳の時にはカナダ放送協会楽団で天才少年として注目され、ソロを披露しました。

アメリカでの成功と映画音楽への進出

 

1949年、21歳でアメリカに移住し、スタン・ケントン楽団に加わりました。当時はまだ若かったため、ツアーには両親が同行するという微笑ましいエピソードも残されています。1954年にはスタン・ケントンのもとを去り、パラマウント・ピクチャーズに入社、『十戒』などの映画でリードトランペットを担当しました。

 

国際的な活動とオリンピックでの活躍

 

パラマウントを去った後、ファーガソンはバードランドドリームバンドを結成。しかし、1960年代のアメリカ音楽の変化に失望し、一時はイギリスへの移住を考えました。1976年8月1日に開催されたモントリオールオリンピックの閉会式では、トランペットのソリストとして輝かしい演奏を披露しました。

 

ビッグバンドとヒット曲

 

その後も自身のビッグバンドを率いて活動を続けました。1977年には「ロッキーのテーマ」でビル・コンティのバージョンが全米1位の大ヒットとなり、ファーガソンのバージョンも30位以内に入るヒットとなりました。この曲の他にも、彼の演奏は多くの映画音楽やテレビ音楽で広く知られています。

日本での影響

 

日本では、「スター・トレックのテーマ」が日本テレビ系『アメリカ横断ウルトラクイズ』のテーマ曲として、「ハリウッド」が日本テレビ系『全国高等学校クイズ選手権』やCBCテレビ制作・TBSテレビ系『国際招待ゴルフ・中日クラウンズ』の中継テーマ曲として使用されました。さらに、フュージョン時代の楽曲は、新日本プロレスの来日外国人レスラーの入場テーマ曲としても多く使用され、ファーガソンの名前を知らなくてもその演奏は日本中で広く親しまれています。

 

最期の日々

 

2006年8月23日、ウォルター・“メイナード”・ファーガソンは腎臓疾患と肝臓疾患のため、アメリカのカリフォルニア州の病院で息を引き取りました。9月には日本ツアーを行う予定でしたが、叶うことはありませんでした。

ファーガソンの音楽は、彼の卓越した技術と情熱によって今もなお多くの人々の心に響き続けています。その輝かしいキャリアは、音楽史に永遠に刻まれることでしょう。



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