今日のプレイリスト#42「Anna Prucnal(アンナ・プリュクナル)」

今日のプレイリスト#42「Anna Prucnal(アンナ・プリュクナル)」

今日のプレイリスト。42回目の今回は「Anna Prucnal(アンナ・プリュクナル)」です。


下北沢で行きつけにしているレコード屋さん「フラッシュ・ディスク・ランチ」で購入しました。


このお店は、私が世田谷に住み始めて間もないころからずっと通っているレコード屋で、お店がある限り有効なポイントカードは、50スタンプ貯まると15,000円以下のレコードを何枚買っても半額というやばいシステムが人気のお店です。


アンナ・プリュクナル:ワルシャワ生まれの女優、波乱の人生を歌に乗せて

1940年、第二次世界大戦の影が色濃く残るポーランド・ワルシャワに、アンナ・プリュクナルは生まれました。名家に生まれ、幼い頃から芸術に触れる機会に恵まれていた彼女でしたが、戦火の中で父を亡くし、過酷な現実を目の当たりにします。

それでも、希望を失うことなくピアノと声楽を学び、ワルシャワの学生演劇サークルで演技の才能を開花させていきます。22歳で映画デビューを果たし、女優としてのキャリアを順調にスタートさせますが、1970年にフランスへ移住。新たな挑戦として、ベルトルト・ブレヒトの作品をはじめとする数々の舞台に出演し、その演技力で観客を魅了します。

しかし、1973年に出演した映画「スウィート・ムービー」が、彼女の人生を大きく狂わせます。ポーランド当局から「ポルノグラフィかつ反共産主義的」とレッテルを貼られ、パスポートを没収されてしまったのです。祖国を追放されるという辛酸を舐めながらも、アンナは決して諦めませんでした。

持ち前のバイタリティと情熱を武器に、1970年代には歌手としての活動も開始。「西の夢、東の夢」と題されたアルバムは、フランス、ベルギー、そして世界中で人気を博し、彼女の才能が国境を越えて認められるようになります。1989年には、ついにワルシャワでの凱旋公演を果たし、祖国の人々に感動と勇気を与えました。

2002年には、自伝「ワルシャワに生まれた私」を出版。戦争、亡命、そして芸術への情熱...。波乱万丈の人生を赤裸々に綴ったこの作品は、多くの人々の心を打ちました。

アンナ・プリュクナルは、ただ美しいだけでなく、強く、そしてしなやかな女性でした。逆境に屈することなく、常に自分自身の人生を切り拓いてきた彼女の生き方は、私たちに多くのことを教えてくれます。彼女が残した作品の数々は、これからも多くの人々に愛され、語り継がれていくことでしょう。



WAITER-Uではキャンプのみならず、音楽、本、映画もセレクトしています。

Spotifyでプレイリストも作ってますので、よかったらキャンプに行く車の中ででも聴いてみてください。

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