今日のプレイリスト。43回目の今回は「Rain & Tears (Hit Ballads Of The Sixties)」です。
下北沢で行きつけにしているレコード屋さん「フラッシュ・ディスク・ランチ」で購入しました。
このお店は、私が世田谷に住み始めて間もないころからずっと通っているレコード屋で、お店がある限り有効なポイントカードは、50スタンプ貯まると15,000円以下のレコードを何枚買っても半額というやばいシステムが人気のお店です。
1989年にイギリスのレーベル「Pickwick Music」から発売されたアルバムで12曲のオムニバスになっています。
曲順 |
アーティスト |
曲名 |
作曲家 |
1 |
Aphrodite's Child |
Rain And Tears |
Pachelbel (Arranged By Berman, Papathanassiou) |
2 |
The Four Pennies |
Juliet |
F. Fryer, L. Morton, M. Wilsh |
3 |
Billy Fury |
I Will |
Glasser |
4 |
Marianne Faithfull |
Yesterday |
Lennon-McCartney |
5 |
The Casuals |
Jesamine |
Manston, Gellar |
6 |
The Righteous Brothers |
You've Lost That Lovin' Feeling |
Mann, Weil, Spector |
7 |
Scott Walker |
Joanna |
Hatch-Trent |
8 |
Brian Poole And The Tremeloes |
Someone, Someone |
Greines, Petty |
9 |
Dave Berry |
Mama |
Charron |
10 |
Georgie Fame |
Sitting In The Park |
Stewart |
11 |
Dusty Springfield |
I Just Don't Know What To Do With Myself |
B. Bacharach, H. David |
12 |
Mr. Acker Bilk |
Stranger On The Shore |
Bilk, Mellin |
軍事クーデターを機に、ギリシャから世界へ「アフロディテス・チャイルド」
アフロディテス・チャイルドは、ヴァンゲリス・パパタナシュー(キーボード)、デミス・ルソス(ボーカルとベース)、ルカス・シデラス(ドラムス)、アナギロス・クルリス(ギター)の4人によって、1967年にギリシャで結成されました。しかし、1968年の軍事クーデターを機に、彼らは国際的な活躍の場を求めてイギリスへ渡ります。労働ビザの関係でフランスに滞在することになった彼らは、そこでアフロディテス・チャイルドとして本格的に活動をスタートさせました。
雨と涙の大ヒット、そして音楽性の違いによる解散
シングル「雨と涙 (Rain and Tears)」は、ヨーロッパ全域で大ヒットを記録。その後もアルバム『エンド・オブ・ザ・ワールド』、『イッツ・ファイブ・オクロック』をリリースし、イタリアのサンレモ音楽祭にも出場するなど、順風満帆な活動を送ります。
しかし、音楽性の違いからバンドは一度解散。その後、レコード会社との契約を満たすために再結成し、1971年にLP2枚組のコンセプト・アルバム『666 - アフロディテス・チャイルドの不思議な世界』をリリースしますが、これを最後に正式に解散しました。
解散後もそれぞれの道を歩んだメンバーたち
バンド解散後、ヴァンゲリスはシンセサイザーを駆使した音楽で世界的な成功を収め、デミス・ルソスはヨーロッパを中心にソロシンガーとして活躍。ルカス・シデラスはプロデューサーに転身し、アナギロス・クルリスはスタジオ・ミュージシャンとして活動しました。
神話の女神のように、今もなお人々を魅了する音楽
アフロディテス・チャイルドが残した音楽は、プログレッシブ・ロックの金字塔として、今もなお多くの音楽ファンを魅了し続けています。彼らの音楽は、まるでギリシャ神話のように、時を超えて語り継がれることでしょう。
ビリー・フューリー:燃え尽きるまでロックンロールを歌い続けた、孤高のスター
エルヴィス・プレスリーを彷彿とさせる歌声、ルックス、そしてワイルドなステージアクト。ビリー・フューリーは、1950年代後半から60年代前半にかけて、イギリスの音楽シーンを席巻したロックンロール・スターでした。
リヴァプールから生まれた、儚き魂のロッカー
リヴァプールで生まれたフューリーは、幼い頃から音楽に親しみ、10代でバンドを結成。しかし、病弱な体質は彼の人生に暗い影を落とします。医師から「30歳まで生きられない」と宣告された彼は、燃え尽きるように音楽に情熱を注ぎました。
デビューからスターダムへ、そして苦悩の日々
1959年、「メイビー・トゥモロー」でデビュー。その後もヒット曲を連発し、一躍スターダムにのし上がります。しかし、激しいステージパフォーマンスは心臓に負担をかけ、彼はバラード歌手への転向を余儀なくされます。
それでも、「ハーフウェイ・トゥ・パラダイス」「ジェラシー」など、数々のヒット曲を世に送り出し、映画にも出演。しかし、1960年代後半には、音楽シーンの変化と病魔に苦しみ、半引退状態に追い込まれます。
不屈の闘志でカムバック、そして突然の別れ
1970年代には心臓手術を受け、映画『ザットル・ビー・ザ・デイ』に出演するなど、活動を再開。1980年代にはカムバックを果たし、再びステージに立ちますが、1983年、レコーディングを終えた直後に帰らぬ人となりました。42歳という若さでした。
その音楽は永遠に
ビリー・フューリーは、短い生涯を駆け抜けながらも、その音楽で多くの人々を魅了しました。彼の魂の歌声は、今もなお多くのファンに愛され続けています。
マリアンヌ・フェイスフル:スキャンダルと復活を繰り返した、ロック界の女神
貴族の血を引く生粋のロンドナー、マリアンヌ・フェイスフル。その歌声は「エンジェル・ボイス」と称され、17歳でデビューすると瞬く間にポップ・アイドルとしての地位を確立しました。
ミック・ジャガーとの情熱的な恋、そして転落
しかし、彼女の人生は決して平坦ではありませんでした。ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとの情熱的な恋は、流産や精神不安定、ドラッグへの依存など、彼女を深い闇へと突き落とします。その影響は歌声にも現れ、かつての透き通るような声は、ハスキーで深みのある声へと変貌を遂げました。
復活と新たな挑戦
転落の時期を経て、1979年にアルバム『ブロークン・イングリッシュ』で華々しく復活。その後も精力的に音楽活動を続け、近年では女優としても活躍しています。2020年には新型コロナウイルスに感染し入院するも、見事回復。その不屈の精神は、多くの人々に勇気を与えました。
スキャンダルと才能、二つの顔を持つアイコン
彼女の半生は、スキャンダルと才能、光と影が複雑に絡み合ったドラマのよう。ゴダール作品への出演や、バイクにまたがり全裸で疾走する姿は、多くの映画人に衝撃を与え、後の作品に影響を与えました。中でも、アラン・ドロンと共演した映画『あの胸にもういちど』での彼女の姿は、アニメ『ルパン三世』の峰不二子のモデルになったとも言われています。
その一方で、ドラッグ問題や警察沙汰など、数々のスキャンダルにも見舞われました。しかし、どんな困難にも立ち向かい、自分自身を表現し続ける彼女の生き様は、まさに「ロック」そのもの。マリアンヌ・フェイスフルは、時代を超えて愛される、真のアイコンと言えるでしょう。
WAITER-Uではキャンプのみならず、音楽、本、映画もセレクトしています。
Spotifyでプレイリストも作ってますので、よかったらキャンプに行く車の中ででも聴いてみてください。