今日のプレイリスト。31回目の今回は「沢井忠夫」です。
下北沢で行きつけにしているレコード屋さん「フラッシュ・ディスク・ランチ」で購入しました。
このお店は、私が世田谷に住み始めて間もないころからずっと通っているレコード屋で、お店がある限り有効なポイントカードは、50スタンプ貯まると15,000円以下のレコードを何枚買っても半額というやばいシステムが人気のお店です。
沢井忠夫:箏の革命児とその音楽世界
音楽家としての旅路
沢井忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 1997年4月1日)は、日本の箏曲家、作曲家として知られ、沢井箏曲院の創始者でもあります。彼の音楽の道は、愛知県中島郡(現在の尾西市)で尺八家の名家に生まれたことに始まりました。小学5年生で箏を始め、一度は宮城道雄に師事するも、すぐに宮城が亡くなるという波乱のスタートを切りました。
教育と初期の成功
1960年、沢井は東京芸術大学邦楽科を卒業し、1962年には専攻科を修了。在学中には、NHK「全国今年のホープ」に選ばれるという栄誉に浴しました。また、高校時代から作曲を始め、最初の作品「雪ものがたり」を生み出しました。その後、清水脩の元で作曲の技術を磨きました。
民族音楽の会と独創的な活動
1964年には、青木鈴慕、伊藤松博、高野和之、杵屋栄三郎、山本邦山と共に「民族音楽の会」を結成。このグループは、伝統音楽だけでなく、ジャズやクラシックとの融合を追求し、新たな音楽の地平を切り拓きました。1971年には、「沢井忠夫箏独奏会」の成功を受け、芸術祭優秀賞を受賞するなど、その才能を広く認められました。
沢井箏曲院の設立とメディア出演
1979年には、妻である箏曲家の沢井一恵と共に沢井箏曲院を設立し、多くの弟子を育成しました。さらに、1985年にはネスレの「ネスカフェゴールドブレンド」のCMに出演し、その名を一般の人々にも広めました。
晩年とその遺産
1997年、くも膜下出血の再発により、沢井忠夫はこの世を去りました。彼の死は、日本の音楽界にとって大きな損失でしたが、その革新的な作風と教育への貢献は今なお語り継がれています。
作風の革新性
沢井忠夫の作風は、伝統的な旋律やモチーフを多用しつつも、現代的な箏の可能性を探求するものでした。日本的な5音階だけでなく、12音階を用いた作品も数多く手掛け、箏を打楽器的に奏で、ドラムのスティックで演奏するなど多様な技法を取り入れました。その結果、練習用の小品から高度な演奏技術を要求する作品まで、多彩なレパートリーが生まれました。
終わりに
沢井忠夫は、伝統と革新を融合させた音楽家として、日本の箏音楽の発展に大きく貢献しました。彼の遺した音楽は、今もなお多くの人々に感動を与え続けています。
有名なゴールドブレンドの「ダバーダーダバーダー♪」というCMに起用されていたことがあるので、それでご存知の方も多いかと思います。
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Spotifyでプレイリストも作ってますので、よかったらキャンプに行く車の中ででも聴いてみてください。