今日のプレイリスト#36「Jimmy Dorsey (ジミー・ドーシー)」

今日のプレイリスト#36「Jimmy Dorsey (ジミー・ドーシー)」

今日のプレイリスト。36回目の今回は「Jimmy Dorsey (ジミー・ドーシー)」です。


下北沢で行きつけにしているレコード屋さん「フラッシュ・ディスク・ランチ」で購入しました。


このお店は、私が世田谷に住み始めて間もないころからずっと通っているレコード屋で、お店がある限り有効なポイントカードは、50スタンプ貯まると15,000円以下のレコードを何枚買っても半額というやばいシステムが人気のお店です。


ジミー・ドーシー:不朽のメロディーを奏でたサックスの詩人

ペンシルベニア州の炭鉱町シェナンドアに生まれたジミー・ドーシー。その音楽の旅は、幼少期に父親から受け継いだ楽器から始まりました。弟トミーとともに、音楽一家で育った彼は、7歳にして父のバンドに参加。9歳でニューヨークの舞台に立ち、その類まれなる才能の片鱗を覗かせます。アルバート式クラリネットの独特な指使いは、彼の演奏に唯一無二の個性を刻み込みました。

若き日の挑戦:ジャズシーンの寵児へ

1920年代、若きジミーはスクラントン・サイレンズやカリフォルニア・ランブラーズなど数々のバンドで研鑽を積み、その名がジャズシーンに知れ渡ります。1927年には、後にグラミー賞の殿堂入りを果たす名曲「シンギン・ザ・ブルース」で、その情感溢れるクラリネットソロを披露。その後、ヨーロッパツアーで更なる飛躍を遂げ、帰国後は弟トミーとの共同バンド結成へと舵を切ります。

光と影:ドーシー兄弟オーケストラ

1927年、兄弟はドーシー兄弟オーケストラを結成し、瞬く間にスターダムを駆け上がります。しかし、成功の裏では、経営方針や音楽性における兄弟間の確執が徐々に深まっていきます。そして1935年、ついにバンドは分裂。ジミーは自らのオーケストラを率い、デッカ・レコードと契約。ビング・クロスビーのラジオ番組での演奏や、数々のヒット曲を生み出すなど、新たな道を切り開いていきます。

甘美なるハーモニー:エバリー&オコネルの黄金時代

ジミー・ドーシー・オーケストラは、ボブ・エバリーとヘレン・オコネルという二人のボーカリストによる甘いデュエットと、ラテンアメリカ風の楽曲で一世を風靡します。「アマポーラ」「マリア・エレナ」「グリーン・アイズ」など、今も愛され続ける名曲たちは、40年代前半の音楽シーンを彩り、人々の心を捉えて離しませんでした。

再会のとき:兄弟の絆と晩年の輝き

1947年には、映画「ザ・ファビュラス・ドーシー」で兄弟は共演。その後、53年にドーシー兄弟オーケストラとして再結成し、人気テレビ番組「ステージ・ショー」のホストを務めます。しかし、56年、トミーが突然この世を去ります。悲しみを乗り越え、ジミーはバンドを引き継ぎますが、自身も喉頭がんを患い、57年6月12日、53歳という若さでその生涯を閉じます。

時代の変遷:最後のヒット曲「So Rare」

死の直前に発表された「So Rare」は、ロックンロールの影響を受けた斬新なアレンジで全米2位を記録。ビッグバンド時代の終焉を感じさせる一方で、新たな音楽への飽くなき探究心を示す、ジミー・ドーシーの最後のメッセージとなりました。

音楽史に刻まれた名:後世に響き続けるメロディー

ジミー・ドーシーは、スウィングジャズ界のアイコンとして、その音楽と生き様は今も多くの人々に愛され、語り継がれています。彼の奏でたメロディーは、時代を超えて輝き続け、後世のミュージシャンたちにも多大な影響を与えました。その名は、ジャズの歴史に永遠に刻まれています。


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Spotifyでプレイリストも作ってますので、よかったらキャンプに行く車の中ででも聴いてみてください。


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